毛氈(もうせん)

  • 意味:獣の毛の繊維に加工して、織物のように仕上げたもの
  • 豆知識:羊毛のみを使うものを毛氈、羊毛にほかのほかの獣毛も加えて使うものをフェルトといいます。

毛氈といえば、雛人形の段飾りに使う緋毛氈をイメージします。
五月人形には緑毛氈が使われ、書道の下敷きには、青や黒の毛氈が多いようです。

母の交友関係

きのうの記事で、母は共感力ゼロであることを書きました。
どう考えても、水商売はできないタイプだよな、と思いますが
そもそも、こんなことをやっていたら、嫌われそうなものなのに
母には、たくさんの友人、知人がいるのが不思議です。

多くの人は、共感力ゼロの人と話していても
特に何も感じないのだろうか?

それとも、家族以外の人と話すときは
それなりに共感しつつ会話をしているのか?
などなど、いろいろ考えますが
人と話しているときに、相手がどう思うだろう?とか
会話が発展するようにとかって、
気を遣わない人って、わりと多いのかもしれません。
自分と同じだから、気にならないということかも。

もしくは、仲良くなんだかんだ話してるように見えても
大多数が人の話なんて、真面目に聞いてない、ということなのかもしれません。
カラオケで、人が歌ってるあいだは自分の選曲に専念してるのと、似たようなもので。(笑)

思うことはいろいろあれど

そんな母には、共感力以外にも思うところはいろいろあります。
母のみならず両親に、ともいえますが。

ふたりそろって、たいへんな浪費家でしたから
子どものころから、「家にはお金がない、お金がない」
と、言い聞かされて育ちました。

父親が安定した企業に勤務するサラリーマン
というくくりで見るならば、同レベルの家庭と思われる友人が
当たり前にしてもらったことを、何一つしてもらえませんでした。

みじめな思い出がてんこ盛りですから、恨めしく思う気持ちもありますが、
愛情を注がれなかったわけではありません。
「お金は、あるはずなのに、自分たちの享楽にばかり使って子どもには回さなかった」
と、思えばこそ、非常に腹立たしくもなりますが
誕生日には毎年ケーキを焼いてもらい、お祝いをしてもらいましたし
学校にも通わせてもらえました。
夏休みには海にも連れて行ってもらいましたし
飢えたことはありませんし、不潔にもならずに育ちましたので
それで十分と思えば、それまでの話だと割り切るようにしています。

底辺

実際には、そういう世界に身を置いたことがありませんので
いわゆる底辺の暮らしというのは、フィクションの世界でしか知りません。

最近、たまたまそういう本を読みました。
櫛木理宇さんの「少年籠城」です。

https://amzn.to/43U8sEP

猟奇殺人×子ども食堂立てこもり
緊迫のサスペンスミステリ

地方の温泉街の河原で、子どもの惨殺遺体が発見された。
警察は、小児わいせつ事件を繰り返していた15歳の少年・当真への疑いを強める。
逃亡中の当真は警官の拳銃を強奪し、子分とともに子ども食堂に立てこもった。
自分は無実で、人質を殺されたくなければ、警察は真犯人を捕まえろという。
子ども食堂の店主・司は、人質の少年少女を守るために戦うことを誓うが――

当真は本当に無実なのか。他に殺人犯はいるのか。
さらに新たな遺体が発見され、暴走する当真は引き金に指をかける――
誰もが予想できない結末が待つ、衝撃のサスペンスミステリ。

Amazon商品紹介より

架空の街ですが、舞台となっている温泉街が、
さまざまな事情があって、夜逃げしてきたような一家が
住民票を移すことなく、人目を避けて暮らしているため、
いわゆる居所不明児童がたくさんいる街という設定です。
その街では、親世代は、性産業に従事する者が多く
子どもは、学校に籍がないため、
小学校にも満足に通わないまま育ち
飢えや親を含む大人からの暴力に苦しんだ挙句、非行に走り・・・
といった様子が複数描かれています。

こういう街が本当に、今の日本にあるのかしら?
と、いぶかしく思う気持ちもありますが
おそらく、どこかには存在しているのでしょう。

垣間見た底辺

私がまだ学生時代に、福祉の授業の一環で
「教護院」というところに、実習に行きました。
今でいう、児童自立支援施設というもので
当時の定義としては、非行により補導された児童を家庭に戻しても、
更生の見込みが薄いため、行政が保護し、更生指導を行う施設でした。

小学生~中学生の男子児童が十数名保護されている施設に
数週間泊まり込み、生活を共にする実習でしたが
そこにいた児童たちの生い立ちは、想像を絶するものでしたし
学校に通ったことがなかった児童も多く、
15歳になっても、小学1年生の国語の教科書が音読できない子もいました。

そういう現実を垣間見て、たいへんな衝撃を受けて
人生観が大きく変わりました。

自分が当たり前だと思っていることが、世の中のすべてではない。

ということが、わかったのですが
今にしてみると、当たり前すぎることです。
でも未成年で、まだ精神的に未熟なときでしたから
それを実感したことが、とても重く感じられました。

寝起きを共にした児童たちには、すっかり情を覚えていましたので
底辺の子たちだ、かわいそうに、と思うことそのものが
たいへん傲慢に思えたり、自分はその子たちのために何もできないわけで
いてもたってもいられないような焦燥感に見舞われたりもしました。

その後、いろいろと考え、人生経験も積むうちに
上を見ても下を見てもキリがない。
人と自分を比べないことと
見栄をはらないことを、信条とするようになりました。

そういうわけで、両親に思うところは、いろいろありますが
虐待もされず、愛されて育ったのだから
十分幸せなんだと、感謝して
母には、なるべく意地悪をしないようにしています。(笑)

忘れん坊将軍

昭和39年生まれの59歳、専業主婦です。 新幹線、首都高速、武道館などなど同い年のものがたくさんあります。 還暦目前のせいか、あれもこれも忘れてしまう困ったちゃんです。