蟶貝(まてがい)

  • 意味:マテガイ科の細長い二枚貝
  • 豆知識:馬刀貝、馬蛤貝、蟶貝、鮲貝という表記もあります。

マテ貝は、こんな貝です。

マテ貝の思い出

細長い形のマテ貝を初めて見たのは、小学生のころで
父の転勤で移り住んだ地で行った、潮干狩りでのことでした。

砂の中から指の先ぐらいの穴を探して、
そこに塩をまくと、マテ貝が顔を出します。

このように姿を現したら、途中でちぎれないように気を付けて引き抜きます。
そして、そのまま食べる。(笑)

それまでに経験していた潮干狩りでは
獲った貝は持ち帰って食べるものでした。
漁業権がありますので、獲った貝を買い取るシステムです。
でも、引っ越した先での潮干狩りでは、獲ったらその場で食べてOKでした。
マテ貝だけではなく、赤貝もその場でむしゃむしゃ食べたことを覚えています。

どんなことにも、地域によって流儀の違いがあるのだと
こんなことから、学んだ子ども時代でした。
あれからもう50年以上が経っていますので(なんと半世紀!)
同じ海岸でも今はこんな野蛮なことは、できなくなってるかもしれません。(笑)

流儀のちがい その1

「マテガイ」を漢字で書いて、懐かしい思い出を記事にしました。
父の転勤について、何度も引っ越しをしましたので
ほかにも、地域による流儀のちがいをたくさん経験しました。

たとえば、学校でとる出欠ですが
先生や日直に「忘れん坊さん」と呼ばれ、それに「はい」と答えることで
登校していることを確認してもらうことがほとんどだと思われますが
ある地域で通った小学校では、
「忘れん坊さん」と呼ばれたら
「元気です!」と、答えるのが普通でした。

転校生というのは、ある日突然新しい学校に放りこまれるのですが
子どもには、異分子にならないための対応力が備わっているのか
初日から、皆の真似をして「元気です!」と、答えた記憶があります。

しかしながら、その学校から転校していく日までずっと
「風邪気味です」とか「頭痛がしています」とか
「元気ではない」と、答える生徒が出ないものかと、待っていました。
でも、最後の日まで、そのような生徒は現れませんでしたし
自分でやってみる勇気もありませんでした。(笑)

流儀のちがい その2

「元気です!」とは別の地域の小学校のことです。
夏になると、プールで水泳の授業がありまして
どこの学校でも、生徒はスクール水着というのを着用したものでした。

しかし、海水浴(死語?)に行くときに着用するような
柄が入っていたり、フリルがいっぱいついているような
おしゃれな水着OKな学校がありました。

OKというのは、おかしいかもしれません。
そんなこととは知らず、ごく普通に「水泳の授業があるから」
と、用意した水着=スクール水着を着ていた生徒は、私だけでしたから
まったく規制がなかったのですよね。

本来、それが正しい姿だと思います。
義務教育のあいだ転校して歩いた学校は、
どこも公立でしたから、学校指定品があるのは、おかしいはずです。

そんなことは、まったくわかっていませんでしたが
子ども心にかわいい水着を着て体育の授業が受けられることが
当時は、とてもうれしかったものでした。

流儀のちがい その3

その水着フリーダムな学校は、女の子のおしゃれ心を十分満足させてくれる学校で
始業式や終業式には、いわゆる「よそ行き」の服を着るのが普通でした。

今の子どもにも「よそ行き」という服は、あるのでしょうけれど
昭和の子どもにとっての「よそ行き」というのは
「晴れ着」に近い、たいへんに特別なものでしたよね。

お正月だとか、家族でお出かけをするときとか
学校でいえば、卒業式ぐらいでしょうか?
改まったときしか着ない服、「一張羅」というものがあった時代です。

それを着て学校に行くなんて!!
と、最初は、とても驚きましたが
慣れてくると、始業式、終業式の日が楽しみになったものでした。

マテ貝のところでも「50年前」と書きましたが
こういう「子ども時代の思い出」って、もう半世紀前のことなんですねえ。

歳を取ったものだとも思いますし
50年経っても、精神年齢はほとんど成長していないことに驚きます。

そろそろ落ち着いた、ちゃんとした人間になりたいものですが
おそらく、無理でしょうね。(笑)

忘れん坊将軍

昭和39年生まれの59歳、専業主婦です。 新幹線、首都高速、武道館などなど同い年のものがたくさんあります。 還暦目前のせいか、あれもこれも忘れてしまう困ったちゃんです。