嵙〈やましな)
- 意味:山科の合字
- 豆知識:山科=地名・人名・名跡に使われています。
山科を一文字にまとめる必要があったから
「嵙」という国字が生まれたのでしょうか?
そうであるなら、どんな必要性があったのか、知りたくなります。
それはともかく、「合字」は「抱き字」「連子」ともいうそうです。
休日
主婦ですから、365日お休みの日はありません。
朝起きたら、掃除して朝食を作って洗濯して・・・と
判で押したようなルーティンをこなして
その後は、ジムに行ったり本を読んだりゲームをしたり
合間に昼食、夕食を作ったり、お風呂の準備をしたりもします。
そんな変化のない毎日なんですが
「今日は、お休みだ~!」
と、感じる日があります。
それは、どういう日かというと
ジムの休館日です。
ジムは、自分の意思で会費を払って通っています。
強制されているわけでもないのに、おかしな話なんですが
ジムがお休みの日は、のんびり過ごせる!
と、なぜかうれしくなるんですよね。(笑)
たいへん楽しく通っているのに、変ですねえ。
のんびりする日
ジムに行く日だって、のんびりしてるんですけどね。
急いで何かをすることなんて、まずありませんから。
しかしジムには、だいたいですが
「〇時に行く」と、自分の中で決めていますし
その後は、往復と運動をしている2時間ちょっと
「ジムに通う」という用事に費やしています。
休館日以外は、毎日通っているからこそ
その縛りがない日がうれしくなるようです。
ジムに行かない、というだけで
なぜか、心の余裕がぜんぜんちがうのですから
いかに、ほかの用事がないかを物語ってもいますよね。(笑)
まず、「今日は出かけない」と思うと、うれしくなります。
出なくてすむよう、前の日に買い物をちゃんとすませておくほど
出かけるのって、めんどうですよね。
朝、着替えるときからして、「今日は出かけないから」と
ゴムがのびて、ヨレヨレになっているリラコとか
着心地のよいダルダルのTシャツを選んでしまいますし。
何をするか
出かける用事がない一日を、いかに過ごしているかといえば
特に何もしていません。
はりきって、大掃除をするとか
ここぞとばかりに、何かを勉強するとか
そんなことは、するはずもありません。
いつものように、家事をしつつ
読書、ゲームを楽しんでいるだけです。
それでも、その読書なりゲームなりに没頭する時間が
普段より長くとれるので、充実した一日になるともいえます。
生産性は、まったくありませんけどね。(笑)
読書
直近のジム休館日に読んだ本は、
芝木好子さんの「湯葉」です。
1941年に芥川賞を受賞している作家さんですから
とても古い作品になりますが
加入しているkindleunlimited対象作品だったので、読んでみました。
徳川瓦解により禄を離れた幕臣の娘が、湯葉商の養父を助け奮闘する。その半生を細やかな筆で描く、女流文学者賞受賞作「湯葉」。浅草の高級呉服店を舞台に、大正期の趣味人を彷彿させる「隅田川」、ほかに「丸の内八号館」を収録。明治・大正・昭和三代の女の系譜、庶民の生活と時代を見事に描き上げた代表三部作
Amazon商品説明より
いわゆる大河小説ですから、大好きなジャンルです。
予想以上におもしろくて、物語の世界に没入しました。
ストーリーそのものも、たいへんおもしろいのですが
言葉の美しさに、何度も感心しながらの読書になりました。
たとえば、登場人物が花火を見る場面にこんな文がありました。
たまゆらの閃光、あえかな生命の火花、華麗極まるほむら、花火が良いのは生きて、忽ちかき消えるから、と恭子は思った。
芝木好子著「隅田川」より
格調が高いというのは、こういう表現をいうのかなと、思いましたが
こういう表現が、あまり使われなくなったから、そう思うだけかも
と、思い直しました。
言葉も生きていますので、時代とともに変わっていきますが
文章以外の伝達ツールが発達すればするほど
書き言葉の表現力は、退化していくものなのだろうと感じました。
温故知新だなあと、しみじみした休日でした。