萙(くたびれ)

  • 意味:くたびれる・疲労
  • 豆知識:用例を探しても出てこない不思議な国字です。

「萙を感じる」などと使うのかなと、思いましたが
実際に、そのような使い方をしている文献は発見できず。
なぜこの漢字が作られたんだろう?
国字=和製漢字ですから、中国に存在しない事物や、
通常の漢字では表現しにくい観念を示すためにつくられたはずなんですが。

会話で疲労

ここのところ、実母や姑のことを記事にしていて
この3人の共通点って、会話がしんどく感じることだよなあ
と、つくづく思いました。

しかし、この3人が最強かというと、そうではなく
もっと話していて苦痛を感じるタイプの人がいます。

それは、苦労自慢をする人です。
人の苦労話、不幸話を聞いて
「そんなことたいしたことないわよ!私なんて・・・」
と、自分の話に持って行く人が、どうにもこうにも苦手です。

比較するようなもんじゃない

人が「しんどい」「つらい」と感じる事象はさまざまです。
貧乏だったり、家庭不和だったり、健康問題だったり
まさに千差万別ですし、深刻度も人それぞれです。

たとえば、借金苦にあえいでいるけれど、夫と仲が良い妻と
お金はあるけれど、夫の不倫に悩む妻の
どちらが不幸だと思いますか?と聞かれたとき
その答えは、答える人が共感できる側に傾くはずですし
極論を言えば、どちらも不幸中の幸いにあたる要因があるにすぎず
両者とも、それぞれ不幸なのでしょう。

そういった話を比較するのって、
なんとも、非生産的で無意味なことだと思うのですが
「私なんて、もっとたいへんなんだ!」と言いたい人も
世の中には、いるんですよ。

そういう人が、まわりにいない人は
とっても幸せだと思いますし
私自身も、不幸のドツボにはまるまで
そういう人の存在を知りませんでした。

ブラインドサイト

ネットには、限られたメンバーだけで運営しているコミュニティがあります。
ツイッター、ブログリンクなどなど、形式はいろいろでしょうけれど、
招待された人しか入れないグループがあって
その中での発言は、外部の人が見られない仕組みになっています。

離婚、貧乏に苦しみまくっていたとき
そういったコミュニティーに、参加しました。
メンバーの共通項は、バツイチであることでした。

お互いに、愚痴りたいことを好きなだけ書き散らして
傷をなめあう場所でしたから、
メンバーの皆さんの励ましや共感に、たいへん助けられました。

私だけじゃないと、思えることって
こんなにもありがたいことなんだなと、しみじみしたものです。

愚痴の垂れ流しですから、何の解決にもなっていないといえば、そこまでですけど
本音で話せて、弱音を吐ける場があることが、とても幸いに感じていました。

不幸自慢をする人

ただ、人が集まれば、それなりにギクシャクすることも出てきます。
そのコミュニティーで、私が苦手だなあと、思っていた人が
前述した、「私なんか・・・」と、自分語りを始める人でした。

たしかに、その人の半生は壮絶でした。(すべて本当ならばですけどね)
離婚にいたるまでは経済・暴力の2方向からのDV
橋田寿賀子劇場に出てくるような鬼姑からのいじめ
さらに、難病にかかり・・・と、たいへんな人生です。

そして、家出することで結婚生活に終止符を打つわけですが
その後も体調が悪かったり、貧乏に悩まされたりと
不幸は続くよどこまでも状態でした。

ですから、「あなたなんか、私に比べればマシ!」
と、言うだけの経験値は積んでいるんでしょうけど
それを言って何になる?と、常に感じていました。

私含め、そこに集っていた人たちは
「私なんかね・・・」のコメントが入ってきても
適当に読み流していたようですが
誰しもが、不愉快に思っていただろうとは、思います。

ああいう強烈な人を見ると
あからさまにマウントをとってくる人がいても
それがプラス思考であるならば
あれよりはマシと、思えるようになりました。

私なんて、こんなに幸せ!こんなにお金持ち!
私のほうがあなたより上!
という話は、どう考えても
「私は世界一不幸なんだから!」
という自慢に比べれば健全ですからね。(笑)



忘れん坊将軍

昭和39年生まれの59歳、専業主婦です。 新幹線、首都高速、武道館などなど同い年のものがたくさんあります。 還暦目前のせいか、あれもこれも忘れてしまう困ったちゃんです。