ここのところ、ネットフリックスで配信されている
恋愛リアリティーショー「ラブ上等」を見ています。
タイトルからわかるとおり、参加者はヤンキーの方々。
自己紹介の際に「捕まったことある?」と
自然に聞きあっちゃうあたり、高次元な方々です。
体に刺青を入れていたり、少年院の入院経験者が多かったり
普段、行き交うことのない若者たちの恋愛模様を楽しんでいますが
50年ぐらい前、こういう人たちが、ごく普通に身の回りにいました。
中学校という箱の中で、当時の言葉では不良と呼ばれていた子たち。
同級生ですから、特別な偏見もなく仲良くしていました。
さすがに、学校外で遊ぶことはありませんでしたけどね。
学校外での遊びというと、彼らの場合は暴走行為とか
酒とかシンナーとか、非行というか犯罪行為だったので
そういうことを一緒することはありませんでしたが
給食を一緒に食べたり、学校行事に一緒に参加したり
教室では、普通の同級生と変わらない距離感で過ごしていました。
そんな中学生のころから、気づいていましたが
ヤンキーになるにはなるだけの事情があります。
私の見た限り、全部家庭の事情です。
最近の言葉で言うならば、親ガチャが盛大に外れです。
家庭の居心地はそれぞれですが、民度が著しく低いので、
当たり前の道徳観念を学ぶ機会が乏しいことが
たいへん気の毒だと、今になると思います。
思いやりとか親切心とか、そういうのは育つことが多いのですが
道徳観念は、また別物のようだと、当時から感じていました。
簡単なことだと、暴力は振るわないのが当たり前。
これが普通の感覚のはずですが、暴力をふるうのが当たり前
という感覚の子たちが多くいたことを覚えています。
私の知る当時の不良たちは、学校内では
一般の生徒相手に暴力をふるうことはありませんでしたが
気に入らない先生のことは、情け容赦なく殴ってました。
いわゆる校内暴力が始まったころ中学生だったので
この目で教師がボコられたり、窓ガラスが叩き割られたり
といった暴力行為を見ていました。
当時は私も子どもでした。
自分が絶対にできない「気に入らない教師を懲らしめる」
という図に、爽快感を感じていました。
子どものこの感覚が、暴力がかっこいい
暴力も正義となる、という誤った価値観を肥大させちゃうんでしょうね。
そういう子たちとは卒業以来、会ったことがありませんし
消息もまったく知りません。
ひとり、いわゆる番長だった子は、高校を入学後2か月で退学し
その後、本職(893)になったと聞きました。
今、どうしているでしょうねえ。
あの当時の感覚のまま生きていけば
暴力にまみれた人生を歩んでいることでしょう。
暴力の団に入れる人というのは、
つまり、そういう人なんだなと思います。
生まれた家庭がちがえば、全然ちがう人生があったはずなんですよね。
親ガチャという言葉は、とても深いなと感じます。