好きだった歌手


小学生のころは、野口五郎さん。
中学生時代にさだまさしさんに夢中になり
高校生になると、オフコース。
その後は、いろいろ聴きましたが、B´zには長期間ハマりました。
最近は、古い歌も新しい歌も区別なく、いいなと思う歌を聴いています。

今回の漢字

わりと新しい歌を聴いていて、
漢字で書いたことがない言葉が出てきたので練習しました。


「纏う=まとう」は、YOASOBIさんの「夜に駆ける」の歌詞に出てきます。
「…どこかはかない空気まとう君は…」という部分です。
「はかない=儚い」も怪しいか?と思いましたが、ギリギリ書けました!

この歌、ボーカロイドで作った曲を人間が歌っているので
超うまい人じゃないと、歌うのがとても難しいそうです。
たしかに、聴いていれば歌えそうにないことは、よーくわかります。

ここまでじゃなくても、昔にもそれなりに歌うのが難しい歌がありました。
個人の感想ですが、ポルノグラフィティの「サウダージ」や「アゲハ蝶」は
歌詞を全部歌うのが無理じゃない?と思った記憶がありますし
歌えるように練習した記憶もありますw

改めて聴いても、十分難しい!歌える気がしないw

カラオケ

こんな難しい歌は、めったに歌わず
カラオケに行って歌うのは、たいてい昭和歌謡です。
カラオケは、ご時世的に今は行きませんが
コロナ以前は夫とよく行きました。

50代の夫婦が密室でピンクレディーのナンバーを歌い踊っていたところは
絶対にだれにも見せられません。
必ず夫婦で熱唱しちゃっていたのは、「渚のシンドバッド」です。
そのあとに、これまた定番でサザンの「勝手にシンドバッド」を歌っていました。
そして、聖子ちゃん、明菜ちゃんと続き、
へとへとになったころ、演歌を歌い始め
「夜桜お七」「越冬つばめ」と続き、〆は「天城越え」
このパターン、昭和世代の王道じゃありませんか?

カラオケって、今は当たり前にどこにでもありますが
私が一番最初に「カラオケボックス」を見たのはボウリング場でのことでした。
たぶん、25歳前後のころだったと思いますが
観覧車みたいな箱の中で歌を歌う?なんじゃそりゃ?
わたしゃ、ボウリングをしに来たんじゃ!と思って入りませんでした。

それより前のカラオケは、学生向けの居酒屋とか
スナックみたいな飲み屋とかでした。
当時はステージがあって、そこで衆人環視の中歌ってましたねえ。
人の歌なんか、だれも聴いてないからこそできたことでしょう。

繁華街でないところにも、カラオケボックスができて
友達どうしや、家族で行くのが当たり前になったのは
歌うのって、楽しいしストレス解消になるからでしょうね。
非常に健全な遊びだと思うので、コロナが収束して
また、楽しめるようになるといいなと思います。

忘れん坊将軍

昭和39年生まれの59歳、専業主婦です。 新幹線、首都高速、武道館などなど同い年のものがたくさんあります。 還暦目前のせいか、あれもこれも忘れてしまう困ったちゃんです。