膩(じ)
- 意味:あぶら・あぶらぎる・皮膚ににじむ脂肪
- 豆知識:訓読みは「あぶら・あぶらあか」などがあります。
なんとも汚い意味の漢字だと思いきや
「なめらか・きめ細かい」という意味もあるそうです。
なにごとも表裏一体と、まとめてしまうのは乱暴ですが
物事は、ちがう立場から見てみると
ちがうものが見えてくるのは、確かなことですね。
ちがう立場といえば
図書館に行くと、よく遭遇するのが
何十冊もの絵本を借りたり返却したりしている
30~40代ぐらいの女性です。
お子さんのために絵本を借りているのでしょうけれど
尋常ではない量に、見るたびに驚きますし
カウンターに並んだとき、自分の前にそういう人がいると
かなり時間がかかりますので、「ハズレだな」と思います。
ひとりが借りられる冊数は、自治体によって決まっていますが
家族の登録カードを使えば、規定冊数✖家族分の冊数が借りられますので
おおまじめに、40冊ぐらい抱えている人も、何度も見ていますし
カウンターに、カードを3~4枚ずらっと並べる人もいます。
悪いわけではない
図書館を、どのように利用しようとも
それは、人それぞれの自由ではありますが
何十冊も借りていく、ということは
毎日ちがう絵本を読んであげているのでしょう。
私も母も、そして姉も
「そんなに大量にどんどん読み聞かせるのって???」
と、疑問に思う点が一致しています。
子どもが好きな絵本をくり返し読み聞かせてやることで
本への愛着も出てくるでしょうし
自然に字が読めるようにもなるでしょう。
そもそも、あんなに大量に借りていくわけですから
一冊、一冊を中身を読んで吟味しているとは、思えません。
そういう絵本の与え方はいかがなものか?
と、3人であれこれ話したんですが
そういう与え方をしている方からすると
外野は黙ってろ!
と、言いたくなるようなことでしょうね。
実際に、大量の絵本を抱えている人に
「もしもし?」と、話しかけることはしませんが。(笑)
すでに老害?
今、きのうの記事で書いた本、「老害の人」を読んでいます。
迷惑なの! と言われても。
昔話に説教、趣味の講釈、病気自慢に孫自慢。
そうかと思えば、無気力、そしてクレーマー。双六やカルタの製作販売会社・雀躍堂の前社長・戸山福太郎は、娘婿に社長を譲ってからも現役に固執して出勤し、誰彼かまわず捕まえては同じ手柄話をくり返す。
彼の仲間も老害の人ばかり。素人俳句に下手な絵をそえた句集を配る吉田夫妻に、「死にたい死にたい」と言い続ける春子など、老害五重奏(クインテット)は絶好調。
「もうやめてよッ」福太郎の娘・明代はある日、たまりかねて腹の中をぶちまけた。『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』に続く著者「高齢者小説」第4弾!
定年、終活、人生のあとしまつ……。
Amazon商品説明より
自分のこと、親のこと、いずれは誰もが直面する「老後」。
「最近の若い人は……」というぼやきが今や「これだから『老害』は」となってしまった時代。
内館節でさらなる深部に切り込む!
まだ途中なのですが、かなり苦戦しています。
おもしろくないわけではありませんが
老害のエピソードが、不愉快すぎて、うんざりしてしまいます。
小説ですから、誇張しているとはいえ
たしかに、老害って、こういうことだよね、とか
ここまでじゃないけど、似たような人を知ってるなあとか
あれこれ考えてしまうと、ますます気分がどんよりしてきます。
しかし!
まるっきりひとごとなのか?
と、考えてみれば、そうでもないのでしょう。
だって、今どきの絵本の与え方に対し
「いかがなものか?」と、思っているのは、前述のとおりです。
若い世代の感覚が理解できないわけですし
理解したいと思っていないことも自覚しています。
何かのはずみで
「私は、こんなふうに絵本を選んでいたわよ」
などと、経験談を語り出せば
そこで、すっかり老害の人になってしまうのでしょう。
今のところ、そんなことはしない、と思っていますが
年をとっていけば、どうなるかわかりません。
気を付けないと、やばい老害になるんだろうなと
思っているぐらいのほうが、
迷惑な老人にならずにすむのかもしれません。