篳篥(ひちりき)
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- 意味:雅楽で主旋律を演奏する縦笛
- 豆知識:「ヒチリツ」とも読みます。
こんな楽器です。
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縦笛ですから当たり前ですが、リコーダーに似てますね。
リコーダー
私が小学生だったころは、単純に「タテ笛」と言ってましたが
いつのまにか「リコーダー」と呼ぶようになりました。
同じように、私が小学校の低学年のころ
「メロディオン」という名だった楽器が
その後、「鍵盤ハーモニカ」と呼ばれるようになりました。
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たぶん、「メロディオン」は商標名だったのでしょうね。
地域格差
メロディオンを買ってもらったのは
東京の小学校に通っていたころです。
たしか、生徒全員が買ったような記憶があります。
でも、その学校の音楽室は
蓋を閉めた電気オルガンを机にしていましたから
ひとり1台、鍵盤楽器があったんですよね。
その後、父の転勤で行った地方都市で通った小学校では
誰もメロディオンを持っていなかったし
オルガンを机代わりにする音楽室もありませんでした。
1970年代、まだまだ地方と東京では
物質的な教育格差が激しかったようです。
学校といえば教科書
父が転勤族だったので、何度も転校を経験しています。
転校すると、その学校で使っている教科書が
前の学校のものとちがう、ということがよくありました。
シェア100%に近いんじゃ?
と、思われるほど、国語は光村図書でしたけど
ほかの教科は、いきなり教科書が変わる
ということが、珍しくありませんでした。
真面目に勉強してませんから
動揺はしなかったように思いますが
教科書によって、履修項目の並び順がちがうので
習わずじまいになってしまったことや
二度習ったことなどもたくさんありました。
そんなことは、どうでもいいことなんですが
問題は、使わなくなった教科書の始末です。
捨てられない
転校をせずとも、学年が終われば
その年度の教科書は、すべて不要となります。
母が、教科書を処分するということに抵抗があったようで
私の教科書も、もちろん姉の教科書も
ひもでしばって天袋などに収納していました。
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引っ越すときにも、ご丁寧に持ち歩いていたうえに
引っ越した先で、不要となる教科書も出るわけですから
教科書の束は雪だるま式に増えていったはずです。
母はあれを、いつ、どこで処分したのかなあ?
かなり長期間、持ち歩いて、しまい続けていたはずです。
気持ちはわかる
無駄で意味のないことだと、頭では理解できますが
私も、教科書を捨てることには抵抗があります。
教科書というよりも、本を捨てるということへの
心理的抵抗が大きいというのが真相ですが。
本以外のものは、バンバン捨てられます。
道具を、もう一度使ってから、とか
布類は、切って雑巾にしてから、とか
衣類や雑貨が、メルカリで売れるかも?とか
不要となれば、そういうことは一切考えず
どんどんゴミ袋に放り込めるんですけど
本だけは、自分で処分できません。
本は、BOOKOFFに売って処分します。
本を捨てるという行為は、焚書とはまったくちがい
心に負担を感じるようなことではないはずなんですが
本は、ゴミになんかするもんじゃない!
と、どうしても思っちゃうんですよね。
とはいえ、息子の教科書は、年度ごとに捨てていました。
息子の使い方に問題があったのでしょう。
勉強なんぞ、してもいないくせに
教科書はどれも、もれなくボロボロで
捨てることに心理的抵抗を感じずにすんだのは幸いでした。(笑)
迷信
本の扱いに関しては、根拠のない迷信を信じていました。
本を踏むと頭が悪くなる。
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というものです。
そんなこと、あるはずないと、子どものころから
頭ではわかっているんですけど
雑誌にいたるまで、本を踏んだり、重ねて台にしたり
ということが、できません。
息子にも、本を踏んだら頭が悪くなるよ!
と、言って育てましたが
ヤツが、それを信じたのか?は謎です。
今度会ったら聞いてみようかな。