慟哭(どうこく)

  • 意味:悲しみに耐えきれずに声を上げて泣くこと
  • 豆知識:「慟」には「なげく・身もだえして悲しむ」という意味があります。

貫井徳郎さんの小説「邯鄲の島遥かなり」を読んでいて見つけた
書いたことのない漢字や、意味を調べた漢字を練習してきましたが
やっと、最後の一語になりました。
(その件についての記事はこちらです。→挫折中の「鎌倉殿の13人」

奇しくも「慟哭」は、貫井さんのデビュー作のタイトルでした。
どんでん返しのミステリーで世に出た貫井さんですが
「邯鄲の島遥かなり」は、まったくジャンルの違う大河小説でした。

引き出しの多い作家さんだったんだなあと、感心するとともに
今後の作品が楽しみです。

三が日最終日

久しぶりに家でゆっくり過ごすお正月でした。
お殿様(夫)は、パチンコに出かけたので
私は、実家に遊びに行きました。

近所に住む姉も来て、3人でお菓子を食べつつダベリング。
女三人集まれば・・と、言われるように
ダベり始めたら、延々と続きますが
解散した直後、すでに何を話していたか思い出せません。

それぐらい、いつもどうでもいいことを話しているのですが
本日、最後のほうで出た話題は、まだ覚えていました。(笑)

年賀状の話題から、親戚の動向をあれこれ話しているうちに
どこもかしこも、子どもの数が少ないねという話になりました。

我が一族をとってみても、母は私と姉のふたりを産みましたが
姉も私も産んだ子の数は「1」です。

少子化を防ぐためには、ひとりの女性が2人以上産まないといけませんから
私も姉も、まったく貢献していないことになります。

でも、マシ

それでも、親戚や知人をあれこれ思い出して
子どもの数を確認してみたところ
「〇〇さんのところは、子どもが3人だけど、孫は2人で減ってる!」
「××さんのところは、子どもが2人なのに、孫がゼロだ!」
といった具合で、母世代から見て
子どもの数より孫の数のほうが少ない家庭が、多いことに驚き
「私たちは、まだ減らしてないだけマシかも?」
という結論にいたりました。

いや、それは比較論にすぎず
貢献していないことには、変わりないのですけどね。

時代もマシに?

身近なところで考えても、3人以上子どもを産んだ人は
ひとりしか見つかりませんでした。

産んでいない人も多いし、一人っ子もたくさんです。
母の世代、さらにその上の世代の女性が置かれていた状況を考えると
それですんでいるのは、良い時代のように思えます。

「三年子無きは去れ」という、悪しき風習は
少なくとも、都市部ではすでになくなっているでしょう。

私が息子を産んだあと、かなり長いあいだ
「二人目は?」攻撃に見舞われましたが
今は、それもきっと「ハラスメント」の中に入りそうですし
そもそも「お子さんはまだ?」というような
ぶしつけなことを言うことも、きっと同じですよね。

それでも、「孫ハラ」なる言葉があるようですから
一定のプレッシャーは、あるのでしょうね。

産んでも産まなくても、ひとりでも

若い世代の男女が、結婚しなくなってきています。
結婚のメリットが、ほとんどないのでしょうね。

昔は、家を出ないとできなかったことが
今は、なんでもできますもんね。
「婚前旅行」なんて、きっと死語ですよね。

少子化は、大きな問題ですし
生涯未婚者が激増した世の中がどうなるのか
具体的に想像することはできませんが
それでも、選択の自由があるのはよいことです。

生き方を社会の定型に当てはめなくてよい世界は
自由で、気楽なことが多いでしょう。

でもきっと、それに伴って失うものもあるのですよね。
どんなことも、表裏一体で
権利には義務がついて回るように
得た自由のために、犠牲になるものもあるのでしょう。

それらが社会問題になるころまで生きていたら
「こうなったか!」と、納得できるのでしょうけど
生きてるかな?(笑)

忘れん坊将軍

昭和39年生まれの59歳、専業主婦です。 新幹線、首都高速、武道館などなど同い年のものがたくさんあります。 還暦目前のせいか、あれもこれも忘れてしまう困ったちゃんです。