きのうの記事でとりあげた小説「存在のすべてを」は
写実画家が登場し、画壇の実態に触れられていました。
どの団体も同じだろうとは思いますが
年功序列、権威主義が高い壁となっていて
新人が世に出ることがいかに大変化が伝わってきました。
良い絵を描いていれば画家として認められる
というケースは非常に稀で
芸術会会員になるための運動が必要のようです。
絵を描いてる時間よりも
芸術を追求している時間よりも
画壇での自分の位置を高めるための時間が多い画家が
画壇で出世していく様子を「白い巨塔」になぞらえていました。
その様子が登場するシーンは、
時代が平成初期でしたが
大学病院における、医師の教授選挙は
今も白い巨塔状態が続いているのでしょうか。
令和の画壇の様子として、小説の中でのことですが
SNSで発信した作品が大衆に認められて
一躍人気画家になる登場人物がいました。
SNSで自分の得意なことや、主義主張を
自由に発信できる世の中になり
芸術のありかたも、変わったのでしょうね。
ティックトックやインスタをながめていると
絵を描く様子を発信しているものは多く
どれも上手なので、ついつい見入ってしまいます。
同様に、ダンスや楽器演奏の発信も多くありますし
手芸や書道なども少なくありません。
表現を発信する場が増えただけではなく
鑑賞する人が圧倒的に増えましたね。
私は芸術には疎いので・・
など、芸術を理解できないことを
あらかじめカミングアウトすることが普通だった時代は
きっと、もう遠い昔ですね。
これはきっと、表現したい人々にとって
素晴らしい環境で、芸術の在り方が
根本的に変わっていくことでしょう。
私が年寄りだからなのか
バンクシーの表現方法には、不快感を覚えます。
街中の落書きをありがたがっている人が多いようですが
あれは、公共物汚損です。
誰の迷惑にもならない発表の仕方をしてこそ
芸術家だと思っちゃうんですよねえ。
時代が変わって、芸術家=変人・非常識って
もう、時代遅れなんじゃないの?
令和になっても、そこはそのまま?(笑)