自分も含めてなのですが、歳をとると忍耐力がなくなりますね。
すぐイラっときたり、カチンときたり
小さなことに腹を立てている自覚はあります。
少し前に読んだ小説で、50代後半の男性が牛丼屋に入ったものの
タッチパネルでの注文にもたついてしまい、イライラした挙句
店員ともめる、という描写がありました。
フィクションでも、こういう場面に遭遇すると
すぐに「お殿様(夫)は大丈夫かしら!」と不安になります。
一緒に入った飲食店の注文方式がタッチパネルであった場合
パネル操作をするのは常に私です。
が、聞いてみるとひとりのときは、自分でやっているようです。
まったくできないのがQRコードによる注文です。
何度教えてもQRコードの読み取り方を覚えないので
きっと難儀してることであろうと、あわれに思い聞いてみたら
俺、スマホ持ってないって言えば平気!
と、にっこり笑って答えてくれましたよ。
なるほど、スマホを持つのは国民の義務ではありませんから
読み取りたくても読み取る道具がないと言えば
たしかに、それですむ話ですわね。
嘘に決まってるけど、決めつけるわけにもいきませんから
この策に出られたら、怒りたいのはお店側でしょう。
しかしながら、妙なところに頭が回るなあと思いつつ
頭いいね!
と、ほめたら
だろ~!?

と、いつものドヤ顔を見せてました。
QRコードといえば、先日母が
自治会関連の書類が紙の資料として配布されず
QRコードを読み取る方式に変わったことを
憤懣やるかたないという表情で言ってきました。
母も、何度教えてもQRコードの読み取りができるようになりません。
忘れてしまう、というよりも
最初から、覚える気がないんでしょうね。
母の場合は、スマホ操作ができないことが非常に腹立たしい
という感情が前提としてあります。
自分はパソコンは使いこなしていた!
という自負があるようで、その私なのにスマホの使い方がわからない!
小さすぎるからだ!
つまり、スマホが悪い!と、しょっちゅうイラついています。
パソコンを使いこなしていたと思い込んでいるようですけど
ワープロ機能が使えていた、というだけで
設置はおろか、ネットや周辺機器の接続すらできませんでしたから
まったく使いこなせていなかったんですけどね。
エラーのたびに、その道の専門家の叔父を呼びつけていたんですけど
それは、脇に置いて自分が使いこなせているつもりになっているわけですから
スマホが思うように操作できないことで、いたく自尊心を傷つけられているようです。
そんな母の中で
QRコードの読み取りはスマホでしなければいけない
↓
スマホは小さくて操作しづらい
↓
だからできない
という理屈が完結しているようですが
新しいことに拒否反応を示すのは、老人固有の特性ですよね。
文書内にQRコードが読み取れない人に向けた案内もありましたので
そっちに従えばよさそうなものですが
自分にできないことが「当たり前」な方式になった
ということが、ガマンならないのが母の特性でもありますし
老人全般の特性でもあります。
そのときは、再度QRコードの読み取り方を教えて
いちいち怒るんじゃない!と少し叱りもしたんですが
後日、母から聞いたところによると
わざわざ自治会の役員さんの家まで行って
QRコードが読みとれない!
と、文句を言った老人がいたとか。
文書内の案内を自分が読み落としていたことには気づいていなかったようですが
そこを指摘しつつも、役員さんが、わかりにくさをお詫びする
という下手に出る対応をとったため、ご老人の怒りもおさまったようです。
これが老人の特徴ですよねえ。
自分も、この先どんどん歳をとっていったら
同じようになっていくのかなあと、一抹の不安を感じますが
そうなったときには、きっと自覚することはできないんでしょうね。
老人がめんどくさがられるのも、仕方ないかと思えてきます。