私の場合、他人と交流する場というのが
通っているジムだけになりますので
そこでの話になりますが
少しずつ、私が夫を亡くしたことを知る人が増えています。
「実は6月に亡くなって」と話すと
皆さん判でおしたように
寂しいでしょう
と、言うので、正直に
そうでもないですよ
と、答えます。
ほんとに、誰もがみんな同じことを聞いてくるので
今後、誰かの配偶者が亡くなったとき
同じセリフを言うのはやめようと、固く決めた次第です。
タモリが、子どもがいないことを気の毒がられたときには
はい、毎日泣き暮らしています
と、返していたという話があります。
あまりに同じことを言われて、めんどくさくなったんでしょうね。
いや、別に子どもがいなくても幸せだよ
と、言っても言わなくても
世間の「子どもがいない=幸せではない」
という固定観念は、変えられないことを達観したのでしょう。
夫が亡くなって、寂しくないという話とは
かなり次元がちがう話だとは思うんですが
あまりに同じことを聞かれるので、思い出してしまいました。
寂しくない、というのは
生活に支障がないという話であって
最期に向かう日々のお殿様(夫)を思い出すと
たいへんな悲しみが襲ってきます。
思い出を振り返ったときは
別に悲しくも寂しくもなく、懐かしいだけです。
おおむね、未亡人生活(ひとり暮らし)は楽だな、
と思いつつ暮らしています。
たまに、居てくれたらよかったのに
と、思うことはあり
これが、寂寥にいちばん近い感覚かもしれませんが
寂しいわけではないんですよね。
もう、いないんだな、という喪失感というほうが
自分としては、しっくりきます。
明らかに、2か月前とはまったく世界が変わっている
という、この心情は、寂しいか寂しくないかという
単純な区分けで処理できるものではない、ということを
日々、実感しているのであります。
私はとても正直な人間なので
何かを聞かれたときは、たいてい本当のことを答えます。
だから、寂しいでしょう?と、聞かれると
最近は、少し困ります。
「そうでもないですよ」と答えて
「そうなの?」とか、「そんなことないでしょう」とか返されても
「いや、ほんとに別に寂しくはない」としか言いようがないからです。
はい、毎日泣き暮らしています
と、答えたほうがいいのかな?
とまでは思いませんが(笑)