片鱗(へんりん)
- 意味:きわめて小さい部分。かたはし。
- 豆知識:「片」が「一枚」を表していて、「きれいなウロコをちょい見せする」という意を持っています。
慣用句としては「片鱗を示す」となりますが
「片鱗がうかがえる」というような使い方のほうが多いように感じます。
情報交換
活字中毒であることを以前の記事に書きましたが
(その記事はこちらです。→どうしても我慢できなかった 消えた運転免許証)
一族全員、本が好きで常に何かしらを読んでいます。
姉はもちろん、80代後半の母も、まだまだ読書を楽しんでいますので
読んでおもしろかった本は、2人にも教えて
図書館で借りることを勧めています。
先日も、おもしろかった本があったので、母にタイトルを教えました。
ここでだいじなことは、タイトルを表記含めて正確に伝えることです。
というのは、どこの自治体にもいえることなんですが
図書館HPの検索機能は、一文字ちがっただけでも出てきません。
「〜が」を「〜を」にしたり、漢字表記をひらがなにしたり
漢数字を算用数字にしてしまったりしてもダメです。
日ごろ、察しの良いグーグル先生に頼り切っていることを思い知り、
ありがたみを痛感する次第であります。
丁寧に教えた
そういうわけで、わざわざ自分のスマホで
教えたい本の情報を表示させて、ゆっくり伝えました。
「ひらがなで『その』、続けて『ひと皿』なんだけど
『ひと』がひらがなで『皿』は漢字よ。
で、そのあとがひらがなで『に』
それから、ひらがなで『めぐりあうとき』だよ」
メモをとっていた母に
「皿以外は全部ひらがななのね?
最初からそう言ってくれたらいいのにw」と、言われて
たしかに、そのとおり!と、恥じ入りました。
必要ない説明をしてしまいましたw
こんな本ですw
戦後間もない東京、上野駅周辺で生きる戦災孤児の滋(しげる)と
現代のコロナ禍の中を生きる高校生の俊(しゅん)の話が交互に出てくる話です。
どちらも、たいへんな思いをしながら生きる話なんですが
当然、戦後の日本をひとりで生き抜く滋の過酷さは、
俊のそれと比べるべくもありません。
でも、それは比較論であって
現代の高校生だって、たいへんそうです。
スクールカーストって、私のころは
そこまではっきりとしたものがなかったように思いますが
今や、自分がどこに所属しているのかを誰もが意識しているようです。
私が子どもだったころ
今の子どもたちは、個性を尊重されているし
教師から、私たちの時代ほど理不尽な扱いはうけていません。
昭和40年代に小学生をやってましたが
竹刀を持って廊下を歩いていた先生がいたし
鉄拳制裁は、あって当たりまえでした。
わけがわからない連帯責任を負わされたり
まったく気が進まないのに、団体行動が強制だったりもしました。
そして、教師によるあからさまなえこひいきがはびこってました。
世の中の理不尽さ、不公平さを思いっきり経験したものです。
そんな時代に比べたら、生徒の人権がかなり守られてきた世代が
社会に放り込まれて感じた疑問や怒りが大きくなり
パワハラ、セクハラといった横暴が許されない社会ができつつあるのでしょうね。
そういった世の中に変わっていくことが
100%いいことなのか、どうかはわかりません。
だけどきっと解決しない
どんなに仕組みを変えようとも、社会の理不尽さ、不公平さは
なくならないと思っていますので
正義が負ける現実に、逆に深く絶望してしまう局面が増えそうに思います。
私とて、戦後生まれの甘ちゃんです。
それでも、「世の中そんなもんだよ」
という達観は小学生時代に身につけました。
だから、中学生になって
内申を振りかざして、パワハラ三昧してくる教師を見ても
イヤなヤツだなとは思いましたが、
「オトナは汚い!信じられないっ!!」というような
純で青い心情は持ち合わせていませんでしたから、
やり過ごせたんだと思っています。
生徒の人権は、守られるべきものですが
後に出ていく社会は、残酷です。
誰にどう訴えようとも、いかんともしがたい事態は
きっと誰にでもふりかかってくるはずです。
「間違っている!」と思うことが、まかり通っているのを
ただ、傍観するしかないことも多々あるでしょう。
純粋培養されすぎると、そういうときにに耐える力、
負けないタフな精神が、育たないよねえと、よく思います。
比べることが、むちゃくちゃだとわかってはいますが
やはり、生きるか死ぬかの瀬戸際にいた戦中派、
誰かが自分を殺しに来る世界を生き抜いた世代は
ケタちがいに強いなと、思います。